水野 忠政みずの ただまさ
水野忠政は於大の父である。したがって徳川家康にとっては祖父にあたる。
忠政は明応2年(1493)に生まれる。 「寛政重修諸家譜」によると、初名は 妙茂
、牛息丸・藤七郎・下野守・右衛門大夫
と称した。刈谷・緒川・大高の城を領し、刈谷の城(刈谷古城のこと、現在の元刈谷)は適さないとして、「かねがせうじ」(現在の亀城小学校校庭から南に延びる細い道だといわれる)というところに新城を築いたとされる。しかし、この刈谷城の築城のことをはじめ、現在詳細なことはわかっていない。
天文12年(1543)7月12日51歳で没する。太渓堅雄長江院と号し、東浦町 乾坤院に葬られている。
水野 忠政